「誰だ!?」
頭上から響く、威圧に満ちた声。小狼は、その声の主に問い返す。だが、
「…選べ。」
と、その声は繰り返す。
この声…御嶽の声なのか…?
小狼は、考えを巡らせる。
声の主は、そんな小狼の心を見透かすように、問いかけを続ける。
「『神の力(セジ)』を持つものよ。
死者の魂を、生者のニライカナイへ還すか。」
「…それは蘇りとは違う、と今、聞いた。
そうなのか!?」
「蘇りは、しない。」
声は、小狼の懸念を断つように答え、続ける。
「生まれ変わるとき、ひとはその殆どの記憶を落としてしまう。
同じニライカナイでも、時も場所も、まわりの人々も違えて生まれ、
また新しく始める。
魂(マブイ)は同じでも、それはもう同じではない。
途切れた命は、つなぎ合わせる事は出来ない。
…『神の力』を借りたとしても」
小狼は、飛王の術が基で生まれた二人の存在、写身としての『もうひとりの小狼』と、四月一日のことを思い起こす。
「ユタよ。
死者の魂を、生者のニライカナイへ還すか。」
「…今のままではどちらも死者で覆い尽くされるというのなら…
…おれは出来る事をする。」
「それは、『神の力』を使うということか。」
「『神の力』とは、一体何なんだ!?」
問いかけを続ける小狼。眼前の『もうひとりの小狼』は、無言で、眼を背ける事なく、まっすぐと小狼を見据える。
声の主は、答える。
「ユタとなるものが授かる力だ。」
「その力は、どうすれば使えるんだ!?」
「ひとつのことを成し遂げれば。」
「何を成し遂げればいいんだ!!?」
「戦い、勝て」
「…戦うって、誰と?」
虚を突かれた答えに、小狼は戸惑う。
「己が選んだものと」
「おれが、選んだ…?」
「この御嶽で、待っていたものと。」
「待っていたもの…って……」
「ユタであるものが、最も戦いたくないものとの戦い。」
彼の答えを、瞳を閉じて静かに聞いていた『もうひとりの小狼』が、ゆっくりと瞳を開ける。
…予想していた通りの答えが、運命が、二人を待ち受けていると覚悟したように。
「勝て」
戦いの火蓋を切らんと促す、非情な声。だが、彼は対照的に、『もうひとりの小狼』の横で、呆然と立ちすくむ。
「そ…んな……
なんで…戦わなきゃならないんだ…
おれと小狼が…!」
「おまえがそう願ったからだ。」
「おれは戦いなんか望んでない!
ただ…!
…ただ!もう一度!ふたりに逢いたいと…!」
「そう願ったからここにいる。」
淡々と、声は答える。
「待ってくれ…」
小狼は、我に返る。
「ここは御嶽…
死者が生まれ変わる為、ユタと呼ばれる存在が来る場所…。
と、いうことは…!
生まれ変われるのか!…小狼も!!」
御嶽の主の願い、そして小狼の願い。
ニライカナイにおける転生の理(ことわり)の中で、たとえ『同じ』小狼でなくとも、二人の小狼が、そして二人のさくらが、共に生きる事ができる世界を結うことができる。…『裏』のニライカナイの人たちの願いと、彼の願いを結実させる、一つの点。そこに至る筋が描けると、彼の表情は霧が晴れたように明るくなる。
だが。
「否。」
響き渡る、無慈悲な声。眼前に立つ『もうひとりの小狼』も、瞼を閉じたまま無言で立ったまま、彼の望みが叶わないことを黙して語る。
「この存在は、ユタとして選ばれたものが誰よりも欲した存在(もの)だったから此処に来た。
ニライカナイのものでもない。
ニライカナイの『神の力』は 届かない。」
「じゃあ、何故戦わなきゃいけないんだ!!」
小狼は、吼える。
「ユタが『神の力』を代行するにふさわしい魂の持ち主なのか、
それを示す為に。」
「それなら、おれ自身を試せばいいだろう!!」
「だから、試している。
『神の力』を持つものは、『ひとの心を持ってはならぬ』。」
「な…に…?」
想像しなかった答えに、彼は思わずたじろぐ。
「『神の力』を、己の為に使ってはならぬ。
だからこそ、己の最も欲するものと戦い、勝て。
それを成し得たものが、ニライカナイの死者を生者のニライカナイへと還せる。」
「…いやだ。」
呻く、小狼。
そして、叫ぶ。…ありったけの思いを込めて。
「いやだ!!まだ戦うなんて…いやだ!!」
「では、
死者を還さないことを選ぶか。」
どこまでも冷淡な声、そして口調が、小狼にもうひとつの選択を突きつける。
「どうぞ!
私達をニライカナイに!!
ユタとして、『神の力』を!!」
彼の近くで、どこまでも明るく、朗らかな少女の声が御嶽の中を響き渡る。
「けれど…!」
「…さっきから、何を困っていらっしゃるのですか!?」
ようやく少女にも、小狼の逡巡(しゅんじゅん)が伝わる。だが、理由を掴みあぐねているところから、彼女には御嶽の声は届いていないようだ。
「ここに来られるのは、ユタと、ユタ自身がそう望んだもののみ。
本来なら、そこにいる娘も、外にいる者達も近づく事は出来ない。
全ては、ユタがそう望んだが故。
願いの力が強かった故。」
小狼は、自分の選択が多くの人を巻き込んでしまったことを認識する。
「次のユタを待つ猶予は、もうない。
今、この時にも、ニライカナイの生と死の境界は混じり始めている。」
「…御嶽の外で待っている人達は。」
「今、ニライカナイに居るものすべて、辿る先は同じだ。」
彼は、歯軋りする。己の選択・判断が、かけがえのない仲間を、そしてニライカナイに現在(いま)暮らす多くの人を巻き込み、さらに言えばニライカナイという国の存亡を左右させかねない状況に置いていることを。
そして、彼に迫られているのは、次の二つからひとつを選択するものだった。
…彼の選択・判断に触れた人達を、生も死も区別つかぬ混沌の世界へ追いやること。
若しくは、彼がずっと大事にしてきたひとで有り、彼が長くつらく果てしない旅を続けるための心の拠り所としてきた願いを、自らの手で殺(あや)め、手折(たお)ること…。
何より、その選択を回避することは許されないという事実が、彼をどこまでも追い詰める。
「・・・選べ。」
声は、繰り返す。…