トップページデータノートストーリー紹介【ツバサ−RESERVoir CHRoNiCLE−】

Chapitre.222−夢の始まり

 二つの魔法陣から現れた二つの翼に乗って、二人は異世界へと誘(いざな)われる。…新しい時間、新しい命とともに、変わらない決意を叶えるために。
 その様子を見届けた侑子は、静かに呟いた。
 「これであたしの役目は……終わる。
  そして、夢も終わる。」
 静寂が、再び辺りを包み込む。同時に、避けることのできない『宿命』が、訪れる。
 「あたしの止まっていた時間も、動き出す。…死へ。」
 彼女の背後から、死の影が触手のように忍び寄る。それは、みるみるうちに彼女の躯に巻き付き、自由を奪っていく。それでも、彼女の表情は穏やかだった。
 「貴方の……元へ。
  けれど、あの子たちの夢は、これから始まる。」
 つぎつぎと、まとわりついてゆく影。それが、彼女をこことは違う世界−−如何に強大な魔術師も、決して元の世界へと戻る事のできない場所−−へ引き込まんとしていることは明白だった。それでも、彼女は一切抵抗することはなかった。
 彼女は、瞳を閉じる。そして、祈りに似た願いを、口にした。
 「……すべての子供達に、幸多からんことを…。」
 それが、『次元の魔女』と呼ばれた彼女の、最期の言葉だった。
 
 時は移り、次元を隔て。
 「さくらちゃんー!」
 そこは、香港。眼前に広がるのは、二つの島を隔てる海と、目もくらむ超高層ビル群。繁栄を極める街のなかで、喧噪を忘れさせるように桜の大樹が立ち並ぶ丘の上に、彼女は一人立っていた。
 「探したよー!」
 嬉しそうに飛びついてくる、おさげ髪の小柄な少女。名は、光(ひかる)。
 「自由時間だって言っても、海外なんだから一人であちこちいっちゃだめよ。
  香港、初めてなんでしょう?」
 諭すように話しかけるのは、ストレートのロングヘアが美しい少女、海(うみ)。その後ろで、穏やかな笑みを浮かべて立つのは、風(ふう)。彼女の問いかけに、
 「うん。香港もだけど、海外は初めて。」
とさくらは答えた。
 「修学旅行が香港なんて、うちの学校ちょっと変わってるよね。」
 海が、話を振った。
 「でも嬉しいよ!来たかったから!」
 飛び跳ねながら、光が答える。
 「さくらちゃんも、そういってたよね?」
 同意を得るように、光がさくらに切り出す。
 「そうだね。」
 「だといても、さくらはこんな風にわかりやすくはしゃがないわよ。」
 「え?どんな風?」
 ぽんぽんと頭を叩きながらツッコミを入れる海に、きょとんとする光。
 「私は天然ぼけだって許さないわよー!」
 「なになに?」
 くすぐりながら、光を追いかけていく海。じゃれ合うそんな二人を、さくらはにこやかに眺める。
 風は、さくらに問いかけた。
 「香港、おいでになりたかったんですの?」
 「香港だけじゃなく、出来れば色んな所に行きたいと思って。」
 「旅行、お好きなんですか?」
 「…そうだね。
  ……逢いたいから。」
 前は、あの人がわたしの羽根を追い続けてくれた。今度は…。答える彼女の視線は、舞う花びらの先を見つめていた。
 やや離れたところで、二人を見つめる光、海。
 「…さくらちゃんって、なんか大人だよね。」
 光は海に話しかけた。
 「そりゃ光に比べればねぇ。」
 「海ちゃんも風ちゃんも大人だけど、なんかそういうのとは違う感じがする。
  なんだかずっと……捜しものしてるみたいな瞳だ。」
 彼女が見つめるさくらの表情には、微笑みの奥に秘めた深い想いを湛(たた)えていた。
 「何かこちらにご用でした?」
 風は、なぜさくらが単身この場所に立っていたのかを問いかけた。
 「香港にも桜、咲いてるんだなって。」
 「さくらさんは本当に桜が好きですわね。やっぱり同じ名前だからでしょうか」
 「それもあるけど、桜は…」
 『選択』をしたあの場所でも舞っていた、花びら。桜が、二人を結びつけてくれる。…そんな予感がした。
 その時。彼女の頬を撫でたそよ風が、懐かしい空気を運んでくる。
 はっと、彼女は振り向いた。式服を身にまとい、ゆっくりと階段を降りてくる姿。侑子の言葉通り、次元を越え、彼女と同じく生を受けた彼を見た瞬間、彼女の瞳には大粒の涙が溢(あふ)れ出た。
 運命の、ひと。
 名前を呼び合わずとも、言葉を交わさずとも、惹(ひ)き付けられる存在。
 「幼なじみ」で「お姫様とさすらいの考古学者」という間柄とも、「写身」と呼ばれた悲しい共通性とも異なる、新しい「関係性」。
 さくらは、駆けだした。まっすぐに、小狼の胸に、飛び込む。彼もまた、彼女を両腕でしっかりと抱きしめた。
 「やっと…逢えた…。」
 稀代の魔術師と呼ばれたクロウの余命と魔力、次元の魔女・侑子が蓄え続けた「対価」。二人が蒔(ま)いてきた種が、小狼とさくらの『絆』として実を結んだ瞬間だった。