二つの魔法陣から現れた二つの翼に乗って、二人は異世界へと誘(いざな)われる。…新しい時間、新しい命とともに、変わらない決意を叶えるために。
その様子を見届けた侑子は、静かに呟いた。
「これであたしの役目は……終わる。
そして、夢も終わる。」
静寂が、再び辺りを包み込む。同時に、避けることのできない『宿命』が、訪れる。
「あたしの止まっていた時間も、動き出す。…死へ。」
彼女の背後から、死の影が触手のように忍び寄る。それは、みるみるうちに彼女の躯に巻き付き、自由を奪っていく。それでも、彼女の表情は穏やかだった。
「貴方の……元へ。
けれど、あの子たちの夢は、これから始まる。」
つぎつぎと、まとわりついてゆく影。それが、彼女をこことは違う世界−−如何に強大な魔術師も、決して元の世界へと戻る事のできない場所−−へ引き込まんとしていることは明白だった。それでも、彼女は一切抵抗することはなかった。
彼女は、瞳を閉じる。そして、祈りに似た願いを、口にした。
「……すべての子供達に、幸多からんことを…。」
それが、『次元の魔女』と呼ばれた彼女の、最期の言葉だった。
時は移り、次元を隔て。
「さくらちゃんー!」
そこは、香港。眼前に広がるのは、二つの島を隔てる海と、目もくらむ超高層ビル群。繁栄を極める街のなかで、喧噪を忘れさせるように桜の大樹が立ち並ぶ丘の上に、彼女は一人立っていた。
「探したよー!」
嬉しそうに飛びついてくる、おさげ髪の小柄な少女。名は、光(ひかる)。
「自由時間だって言っても、海外なんだから一人であちこちいっちゃだめよ。
香港、初めてなんでしょう?」
諭すように話しかけるのは、ストレートのロングヘアが美しい少女、海(うみ)。その後ろで、穏やかな笑みを浮かべて立つのは、風(ふう)。彼女の問いかけに、
「うん。香港もだけど、海外は初めて。」
とさくらは答えた。
「修学旅行が香港なんて、うちの学校ちょっと変わってるよね。」
海が、話を振った。
「でも嬉しいよ!来たかったから!」
飛び跳ねながら、光が答える。
「さくらちゃんも、そういってたよね?」
同意を得るように、光がさくらに切り出す。
「そうだね。」
「だといても、さくらはこんな風にわかりやすくはしゃがないわよ。」
「え?どんな風?」
ぽんぽんと頭を叩きながらツッコミを入れる海に、きょとんとする光。
「私は天然ぼけだって許さないわよー!」
「なになに?」
くすぐりながら、光を追いかけていく海。じゃれ合うそんな二人を、さくらはにこやかに眺める。
風は、さくらに問いかけた。
「香港、おいでになりたかったんですの?」
「香港だけじゃなく、出来れば色んな所に行きたいと思って。」
「旅行、お好きなんですか?」
「…そうだね。
……逢いたいから。」
前は、あの人がわたしの羽根を追い続けてくれた。今度は…。答える彼女の視線は、舞う花びらの先を見つめていた。
やや離れたところで、二人を見つめる光、海。
「…さくらちゃんって、なんか大人だよね。」
光は海に話しかけた。
「そりゃ光に比べればねぇ。」
「海ちゃんも風ちゃんも大人だけど、なんかそういうのとは違う感じがする。
なんだかずっと……捜しものしてるみたいな瞳だ。」
彼女が見つめるさくらの表情には、微笑みの奥に秘めた深い想いを湛(たた)えていた。
「何かこちらにご用でした?」
風は、なぜさくらが単身この場所に立っていたのかを問いかけた。
「香港にも桜、咲いてるんだなって。」
「さくらさんは本当に桜が好きですわね。やっぱり同じ名前だからでしょうか」
「それもあるけど、桜は…」
『選択』をしたあの場所でも舞っていた、花びら。桜が、二人を結びつけてくれる。…そんな予感がした。
その時。彼女の頬を撫でたそよ風が、懐かしい空気を運んでくる。
はっと、彼女は振り向いた。式服を身にまとい、ゆっくりと階段を降りてくる姿。侑子の言葉通り、次元を越え、彼女と同じく生を受けた彼を見た瞬間、彼女の瞳には大粒の涙が溢(あふ)れ出た。
運命の、ひと。
名前を呼び合わずとも、言葉を交わさずとも、惹(ひ)き付けられる存在。
「幼なじみ」で「お姫様とさすらいの考古学者」という間柄とも、「写身」と呼ばれた悲しい共通性とも異なる、新しい「関係性」。
さくらは、駆けだした。まっすぐに、小狼の胸に、飛び込む。彼もまた、彼女を両腕でしっかりと抱きしめた。
「やっと…逢えた…。」
稀代の魔術師と呼ばれたクロウの余命と魔力、次元の魔女・侑子が蓄え続けた「対価」。二人が蒔(ま)いてきた種が、小狼とさくらの『絆』として実を結んだ瞬間だった。